「内宮御祭宮社」  (18)
 天皇11代垂仁天皇の御代に倭姫命が、天照皇太神を奉じてこの地に3ヶ月止まり、その後伊勢の地に遷りました。そこでこの宮は元伊勢と称され、大野城主佐治氏を始め近郷近在の崇敬を受け、3万7千坪の境内に末社5社を数えましたが、度重なる台風高潮のため大きな被害を受けました。江戸時代末まで、境内であやつり人形戯が盛んでした。当時の人形の「かしら」は現存し市の有形民族文化財に指定されています。
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